「無気力の心理学」感想

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はじめに

読書の習慣を復活させるべく、技術書と並行して新書を読むことにしました。
今回は中公新書から出版された「無気力の心理学」を選びました。
せっかくなので、読んでみた感想をまとめていきたいと思います。

書籍の基本情報

タイトル: 無気力の心理学
著者  : 波多野 誼余夫, 稲垣 佳世子
出版社 : 中央公論新社
装丁  : 新書(193 ページ)
発売日 : 1981-1-25
ISBN-13 : 978-4121805997

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感想

Amazon で見た発売年が 2020 年だったので新しい書籍かと思ったら、初版は 1981 年とかなり昔から読まれている本でした。
そうとは知らぬまま前書きを読んでしまい、「無気力の蔓延〜」という話で少々戸惑ってしまいました。

しかし、大学に入ってから本分である研究に邁進する学生が少ないことや、社会人になってからもバリバリモチベーションを発揮しているのが一部の野心家のみという点については、当時とそれほど変わっていないように思います。

本書では、そのようにある程度「無気力」になってしまうことは仕方ないとしつつも、それが生活に浸透してしまうのは重症として、無気力感について理解を深めようと試みます。
また、無気力感の対であり無気力状態に対する免疫となる「効力感(努力すれば好ましい変化を達成できると感じること)」についても重要なテーマとしてとりあげています。

こうした感情たちの理解を通して目指すところは、日常的にやりがいを持って物事に取り組む方法を明らかにすることでしょう。
なお、本書はこの手の話題でよく見る自己啓発話のような「成功者の共通点を取り入れよう」という再現性の低い内容ではなく、セリグマンの実験をはじめとした様々な心理学研究の事例を紹介することで公平な考察を行なっています。
そのため心理学としての考察が飛躍なく積み上がっており、一歩一歩踏みしめるように読みすすめることができました。

親の応答時間が赤ちゃんの無気力感に影響を及ぼす

本書によれば、赤ちゃんが泣いた時に親の反応が早ければものごとを諦めにくい子に育ち、逆に反応が遅ければ諦めやすい子に育つそうです。
これはその子供の将来にまで影響するため、人手不足から反応が遅れがちな育児施設では無気力な少年少女が育ってしまう傾向があるのです。

まるで、90 年代に流行った「たまごっち」というゲームのようですね。
たまごっちも、幼少期に発せられる呼び出しにどれだけ早く反応できるかによって、大人になったときの姿が変わります。

例えば、ほとんどの呼び出しに早く答えて適切なお世話をすると「まめっち」(「お世話を”まめ”にする」から来ているらしい)となります。一方で、あまりお世話をしてあげないと「おやじっち」になってしまいます。
なお、たまごっちは女子高生向けのペット育成ゲームとして企画されたものであり、教育とは関係無いようです。

僕も子供の頃、遊んで欲しいときんいかまってもらうのが遅くなったことで、親から声をかけられる頃にはすっかりやる気を無くしてしまった体験があります。
当時は親から拗ねてしまったと言われ、まるでこちらが悪いかのような言い方をされたのを覚えています。

また、大人になってからも(忙しいなどの理由がなければ)返信が遅い相手とはチャットを続ける気にならず、仕事においてもレスポンスが遅い人とはやりたくないと感じます。
今まではそれを自分のせっかちな性格、あるいは忍耐の欠如によるものかと思っていました。

ですが、この本の内容を踏まえれば、人が応答の遅延によって無気力になるのは一般的な特性なのだと理解できますね。
なので今後は、連絡はマメな方がいいし、仕事の報連相も早い方がいいと自信を持って言いたいと思います笑

プログラミングの営みと無力感

完全に個人の見解ですが、プログラミング環境においても同様のことが言えるのではないかと思います。

プログラミングをしていてもっとも辛いと感じるのは、コードへ変更を加えたにもかかわらず挙動が一切変わらない時です。
エラーを吐いてくれれば対処できるのですが、なかには何も表示されることなく動作停止してしまい、途方に暮れてしまうこともあります。

むしろ、そうした状況に少しでもヒントを与えるために親切な人がエラーが実装してくれている、と言った方が正しいのでしょう。
適切なエラーの設計は実装の効率を上げるだけでなく、モジュールを利用するエンジニアが無気力状態になるのを防ぐのだと感じます。

こうした「失敗の体験のデザイン」は、プログラミングを学習するシーンにおいても重要ではないでしょうか?
例えば、数学の計算をプログラミングする際に、コードを間違えて巨大な数値が出力された際にはクスッとくることがあります。

普通なら失敗してしまってやる気をなくすところですが、自分のやったことが確かに反映されている気がして面白いと感じ、むしろモチベーションが上がるのです。
そのときは、自分の指示を性格に実行するコンピュータを可愛いとすら感じてしまいます笑

他の学習、例えば物理の実験や楽器の演奏などは、失敗していたら失敗しているなりに「意図しない挙動」をしますよね。
ソフトウェアの世界でも、どうにか変な挙動をさせることで学習のモチベーションになると思います。

ついつい、正常な動作を踏み外せない設計にすればよいと考えてしまいがちです。
しかし、それでは「思い通りにならないプログラムの動作に悩まされる」という経験をすることができません。

そのため、将来本格的なプログラミングを行うことを前提とした学習では不適切です。
本書では、成功体験だけをひたすら積んでも効力感の獲得には至らず、しばしばハードルの高い課題に挑むことも必要であるとしています。

効力感とインタラクション

自分で環境をコントロールできることがモチベーション、ひいてはやりがいに繋がるというわけですが、「環境をコントロールできる」ことの理想の一つに、物理法則への干渉があります。
その憧れを端的に表したものとして典型的なのは、「魔法」ではないでしょうか。

よく想像される、火を起こしたり水を出したりといった魔法は、まさに自分の意思によって自然をコントロールしていると言えます。
みんな知ってる魔法使いの物語「ハリーポッター」の授業で生徒たちが習った魔法は「物を動かす魔法」であり、これもコントロール感のあるものでした。

だとすれば、インタラクションによって魔法のような体験を追求することは、人々の効力感を醸成するという点からも有意義であるといえそうです。

そう考えると、単に自動化を求めていくのに対して時間だけでなく利用者の感情という評価軸を見出すことができるのではないかと思うのです。”

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